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湛海律師 (たんかいりっし)
奈良生駒山の宝山寺を創立した高僧
伊勢の生まれ、延宝六年(1678)、一説に七年ともいう年に、初めて生駒山に登り、般若窟に至って以来、入滅するまでの四十年間、一度も山を出ることなく、ひたすら難行苦行の不動信仰に励まれました。
その生涯に果たした護摩供は、一〇万枚供二七箇度、八千枚供六七箇度といわれます。 また慈救呪(不動明王の真言)一三〇億遍に及んでいます。
和尚は呪術に優れた験力をもっていただけでなく、真言律宗の高僧として声望も厚く、宝山寺は貞享元年(1684)、西大寺の末寺になり、その二年後、五十八歳のとき、西大寺の衆僧の推挙により西大寺の長老となり、皆香色の衣を許されています。
また和尚は仏像や仏画の制作者としても非凡であり、大宮大仏師院達と親しい関係にあり、両者の合作もありますが、和尚の自作が大量に伝えられています。とりわけ不動明王が多く、宝山寺本堂には、自作の本尊不動明王坐像を中心に、仏師に制作させた矜迦羅・制多迦両童子・蓮花吉祥天・薬叉尼使者の五像と倶梨迦羅剣を安置し、元禄十四年(1701)に厨子入五大明王像一具を造立しています。時に和尚七三歳。記録にあらわれているだけでも、五大明王彫像二組・不動明王彫像一五躯にのぼり八四歳まで制作を続けています。ほかにも多種多様な仏像、仏画、舎利塔、厨子、法具に至るまで制作に関与したものが少なくありません。
これらはすべて和尚が菩提を得、深くその信念に徹し、生涯をかけた大事業であり、滅後兜率天浄土に往生するための善業にほかならぬものであったのです。
仰げば尊し ‥
嗚呼、湛海律師 加護を垂れたまえ
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